大人であること、女であることに疲れた日に効く『すみれの花の砂糖づけ』

『すみれの花の砂糖づけ』はこんな人におすすめ

・結婚生活に疲れている既婚者女性
・「私の人生、こんなはずじゃなかった」と思っている人
・大人であることに疲れた人
・悲しい恋愛をしている人

文字に溺れられる。そんな感覚があるから、詩集が好きだ。中でも思い入れ深いのが、江國香織の『すみれの花の砂糖づけ』(新潮社)。

かわいらしい書籍名と、女子っぽい表紙は自分には似合わない。けれど、ここに詰め込まれている「大人だからこそ抱くようになった悲しみ」「何も知らない少女でいたかった」という絶望は自分の中にもある。

『すみれの花の砂糖づけ』はどんな詩集?

誰にも縛られることなく、好きな人とどこへでも行け、自由に生きられる「大人」。それは、制限が多い子どもの自分からみれば憧れであり、「早くなりたい」と思う形だった。

けれど、いざ少女から「女」になってみると、想像もしていなかった悲しみや絶望に飲み込まれ、大人を辞めたくなることもしばしば…。そんな現実を前にすると、ちっぽけで世間知らずだった少女の自分が恋しくもなる。

古川

あの頃のほうが、私は強く、たくましかったのではないか――。そう思ってしまう…。

そんな心境になる本作は、大人であることや女であることに疲れた「元子ども」の心に響く。

ベスト3を紹介!イチオシな詩はコレ

数多くの詩の中で、個人的に特に心に響いたものをランキング形式で紹介します。

第3位「カミングホーム」

“そうして私はおうちに帰る 夜中のタクシーの窓をすこしあけて 遊びつかれて キスもたりて 情熱の言葉をあびて 胸の中だけがからっぽのままで”(引用)
この詩に触れた時、思いだしたのが10代の頃の自分。羽目を外してとことん遊んだ帰り道、同じような気持ちになった。どれだけ甘い言葉をかけられても誰かのぬくもりを感じても、心に隙間風が吹いていたあの頃の自分はきっと笑いながら泣いていた。言葉で形容することが難しかったあの空虚感が蘇ってきて、なんとも言えない気持ちになった。

第2位「ちび」

“ちびだった なまいきだった めだけはいつもあけていて なにもかもみてやる と おもっていた”(引用)

年を重ねるほど、物事に対して盲目になっていく気がする…。大人をこなしているだけ。最近、よくそう思う。だから、この詩は心に刺さった。自分の痛いところを突かれたような気がしたのだ。

あんなにも目をしっかりと開け、自分の気持ちだけで行動していた頃の私はどこにいってしまったのか。いつしか協調性という呪いに負けて周りに合わせたり、誰かのレビューを見て物の価値を判断してしまったりするようになった自分の弱さを痛感した。

いいものはいい。やりたくないことはしない。自分が信じたものは信じ続ける。
そんな風に思っていた、あの頃の自分をもう一度取り戻したい。

第1位「妻」


““妻” そのばかげた言葉のひびき これはほら あれに似ている “消しゴム” ちょうど おなじくらいの言葉の重さ”(引用)

結婚していた頃、夜中に何度この詩を読み、泣いたことだろう。この詩は自分の孤独や絶望に寄り添ってくれた

結婚の先には幸せがある――。若かった自分は、そんなテンプレ的な言葉を信じていた。信じていたからこそ、思い描いていたものとは違う結婚生活が苦しかった。

徐々に夫の態度が変わり、憧れていた「妻」という肩書きが虚しい響きになっていく現実を見たくなかった。日常の中で感じた孤独や苛立ち、悲しみをグっと飲み込むたびに「妻」って一体、なんなんだろうと考えるように。

そんな時に出会ったのが、この詩。ああ、たしかに。あの人にとって私はそのへんに転がっている消しゴムと大差ない存在だなと妙にしっくりきて、涙した。削られ、すり減っていく心も消しゴムそっくりだった。

大人の絶望に寄り添ってくれる詩集
幸せではない瞬間にこそ、寄り添ってくれるのが本作の素晴らしさだと思う。泣きたい気持ちを抱えている人にこそ、ぜひ手に取ってほしい。きっと「大人」でも「女」でもない、何者でもなかったあの頃の自分に戻れるはずだ。

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