こいつは一体何者なのか―…生まれつき感情を持たない男の正体に迫る小説『脳男』

当たり前のように、生まれた時から備わっている喜怒哀楽がない人生とは一体どれほど苦しいものなのだろう。『脳男』(首藤瓜於/講談社)に描かれているひとりの男を見て、そう思った。

ミステリー要素やアクションシーンも詰め込まれている本作は、「人間として生きるとは」を考えさせてもくれる重厚な小説だ。

『脳男』はこんな人におすすめ

・心理学に興味がある人
・警察小説が好きな人
・事件ものに興味がある人

『脳男』のあらすじ

連続爆弾犯を追っていた茶屋は共犯と思われる、ひとりの男に行き着いた。彼の名前は、鈴木一郎。

鈴木は他人の戸籍を買っていたため、名前や29歳という年齢も本当なのか怪しい。唯一分かっていることは小さな新聞社を3年間経営していたことだけ。しかし、その新聞社も社員を含めてビルごと居抜きで買収したもの。彼の経歴を知る者は、誰ひとりとしていない

鈴木は検事の取り調べに対して終始、礼儀正しい態度を崩さなかったが、自身の経歴に話が及ぶと完全黙秘

あまりにも謎が多い鈴木は公判中、弁護側から精神鑑定の要求がなされたため、とある医療センターへ移送され、精神鑑定を受けることに。

鑑定役を命じられたのは、精神科医の鷲谷真梨子。真梨子は精神鑑定を進める中で、鈴木の受け答えに違和感を覚える。もしかして彼は、生まれつき感情が欠落しているのでは…。そう感じた真梨子は鈴木の生い立ちを探り、正体を知ろうとする。

そんな中、鈴木が入院する病院に爆弾が仕掛けられ、物語は思わぬ方向に。果たして一連の爆破事件の裏にはどんな事実が隠されており、鈴木とは一体何者なのか―…。

【感想】映画版『脳男』が無理だった人でも読み進めやすい

古川

ここからはネタバレを含むため、作品を読んでからお楽しみくださいませ。
江戸川乱歩賞受賞作でもある本作は、2013年に映画化されている。筆者はNetflixで見たのだが、みるみるうちに危うい世界観に引き込まれてしまい、小説も読みたくなった。

映画版は血生臭いシーンが多かったが、小説ではどちらかというと鈴木の内面にスポットが当てられているように感じるため、映画は見ることができなかった方でも手に取りやすいはず。もちろん鈴木本人は感情を持っていないため、彼視点での心理描写はないのだが、真梨子が真剣に鈴木の心を考える描写が多いため、グロテスクな表現が苦手な方でも読みやすい

内容は前半までは映画とそこまで違いがないが、物語が佳境に入ってきたあたりから小説オリジナルの展開が繰り広げられ、映像とは違った緊迫感とスリル感が味わえる。

とはいえ、映画版には独自の良さもある。個人的に感動したのは、実力派俳優たちの名演。中でも、主役を演じた生田斗真さんの演技は素晴らしかった。鈴木が持つ狂気と、どこか「守ってあげたい」と思わせられる儚さを見事に表現しており、視聴後は何とも言えない気持ちに。

他にも、二階堂ふみさんや江口洋介さん、松雪泰子さんなど名だたる俳優さんも数多く出演しているので、両作の違いを楽しみながら手に汗握る展開を見届けてみてほしい。

当たり前のように「感情がある」という幸せ

人はどんな瞬間でも感情を抱いている。泣き、笑い、怒るだけでなく、時には感情に基づき、自分の意志で無表情になることだってできる。それは当たり前のことだと思ってきたから、鈴木のように感情が欠落している人はどれほど苦しいのだろうかと胸が締め付けられた。

自分の気持ちが分からず苦しい、空虚感があるという気持ち自体も湧き上がってこず、誰かにインストールされた行動を繰り返す人生。それはまるで、ロボットの一生だ。

もし自分がそんな人生を送っていたなら、どんな人生を歩むだろうか。きっとまともな道は諦めたくなってしまう。周りにいる、似た形をした人間が自身とはあまりにも違いすぎて苦しくなるから。

本作はフィクションだが妙なリアリティがあり、鈴木一郎のような人間はもしかしたらどこかにいるのかもしれないと思わされる。だから、歪んだ人生を歩かざるを得なかった鈴木の悲しみを理解したくもなる。鈴木が選んだ生き方は決して肯定できるものではないが、普通に喜怒哀楽が出せる私たちには批判ではなく、もっと他にできることがあるのではないだろうかと考えさせられた。

自分とは違う特性を持った他者を理解することの難しさ。それが描かれている本作は、心に何とも言えない鉛を残す一冊。読後、あなたの心には、どんな感情が芽生えるだろうか。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)