ロシア文学不朽の名作『罪と罰』

『罪と罰』はこんな人におすすめ

  • ロシア文学に興味がある人
  • 名作に触れたい人
  • 正統派ミステリーを読みたい人
  • 社会派ミステリーが好きな人
  • 自分の生き方に迷っている人

断固たる決意のもと、強い信念をもって起こした行動だとしても、もしそれが許されざることであるならば、罪の意識は全てを凌駕するのかもしれない。

『罪と罰』(ドストエフスキー著・工藤精一郎訳/新潮社)は帝政ロシア時代の文豪、ドストエフスキーの代表作にして、稀代の犯罪小説だ。

『罪と罰』のあらすじ

明晰な頭脳を持ちながらも困窮した生活を送っていた元大学生のラスコーリニコフは独自の犯罪思想を持っていた。それは「ひとつの微細な罪悪は百の善行に償われる」「非凡人であるものは社会道徳を踏み外したとしても、世の中のためになるのであればそれでいい」といった思想だった。その自身の考え方に基づき、貧乏人から金を巻き上げている金貸しの老婆・アリョーナの殺害を計画する。

計画していく中、実行するこことへの考えが揺らいだりする様子も見せるが、ラスコーリニコフの躊躇いとは裏腹に殺害計画が実行に移せる状況へと事が進んでいく。そして、ついに彼はアリョーナの殺害を実行。しかし、出かけているはずの老婆の妹、リザヴェータが偶然帰ってきてしまい、仕方なくリザヴェータをも手にかけることになる。

自身の強い思想のもと殺害計画を実行したラスコーリニコフだが、それからすぐに罪の意識に苛まれ苦悩する。そんな中、事件はすぐに明るみになり、事件を担当する予審判事であるポルフィーリーによってラスコーリニコフは追い詰められていく。

ラスコーリニコフが起こした殺人を物語の中心としながらも、多種多様な登場人物が登場し、それぞれの物語が描かれている。犯罪小説でありながら、恋愛や人間模様が描かれたストーリーがあったりと、複雑でありながらも読みごたえのある作品だ。
覚えておくと役立つこと
・登場人物の名前の呼ばれ方が複数あり誰を指すのか分かりずらい
例:主人公の名前「ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフ」
友人のラズミーヒンには「ロジオン」と呼ばれたり、家族には「ロージャ」と呼ばれたりする。

ロシア人の名前は、「名前+父称+名字」となっており、本作の主人公の場合、名前がロジオン、ロマーヌイチが父称、名字がラスコーリニコフとなる。ロシアでは名前+父称で呼ぶのが礼儀正しい呼び方とされている。「ロージャ」というのは愛称で、親しい間柄での呼び名である。

例に挙げた主人公だけでなく、物語の中で登場する人物の呼称が変わるところが非常に理解しづらい。登場人物の呼び名を調べながら読むことをお勧めしたい。

【感想】罪を犯して罰を受け最後に救済が待つ

望月真琴

ここから先はネタバレを含むため、書籍を読んでからお楽しみください。
本書は犯罪小説として卓越した心理描写が冴えている。終始、暗くどこかすさんだ雰囲気が漂う物語ではあるが、最後にラスコーリニコフが人間として復活するところが見どころだ。

実際の犯罪者が陥りそうなリアルな心理描写

ラスコーリニコフが金貸しの老婆であるアリョーナのを殺害する計画を思い立ったのは、酒場でアリョーナの醜聞を耳にしたことがきっかけだった。また、偶然アリョーナがひとりになる時間を知ったことを運命的にとらえたりしている場面がある。

自身の計画に自己肯定感を見出していくところは、本物の犯罪者のようにリアルな心理描写だと感じた。世界中のどこの国であろうと、いつの時代であっても、犯罪を犯す者の心理はラスコーリニコフのような考えや解釈をもって罪を犯しているのかもしれない。

ラスコーリニコフは「ひとつの微細な罪悪は百の善行に償われる」という思想を持ち、アリョーナを殺すことは罪ではないと信じてやまなかったはずだが、殺害を実行した後はあからさまに精神状態が悪化し、ひどく体調を崩してしまう。そこで初めて殺人という罪を犯したことへの罰を意識することになる。

犯罪を犯した者にしか分からない感覚だとは思うが、人間はだれしも潜在的に罪の意識を秘めているのかもしれない。どんなに強い思想や信念を持っていたとしても、一線を越えて道徳を蹂躙するような罪を犯した後は、罪の意識が表面化し苦悩することになる。そして、苦悩し続けながら生きなければならない過酷さが罰なのかもしれない。

救われるラスト

ラスコーリニコフは偶然の事故に関わった繋がりでソーニャという女性と出会っていた。ソーニャは家族を養うために娼婦に身を窶しつつも信心深く凛として生きていた。そんな姿に心を打たれたラスコーリニコフはソーニャに自分の犯行を打ち明ける。そして最後にはソーニャに諭され罪を償うために自首をすることを決める。

そして、ラスコーリニコフは刑務所に入ることになる。ソーニャは刑務所に入ったラスコーリニコフに会うため、近くに住み、絶えず面会に来ていた。しかし、ラスコーリニコフは完全に心が開けず、さらに病気にも苦しむ。なんとか病から回復したラスコーリニコフは、その時も面会に来ていいたソーニャに会い、自身がソーニャを愛する気持ちと、自分の考えが変化しつつあることに気づく。ラスコーリニコフが自身の罪を受け入れた瞬間である。

犯した罪をひとりで背負って抱え込むことはどんな人間でも困難なことかもしれない。罪を犯して苦しみぬいて自分の非を認め、悔い改めた人間のみ生まれ変わってやり直すことができるのではないだろうか。
単純な犯罪小説で終わる物語ではない
作中では様々な登場人物がおり、それぞれの登場人物が濃く描かれている。決して褒められない人間も多く登場するうえ、当時のロシア社会の格差なども感じ、沈んだ気分になるかもしれない。内容的にこの物語はハッピーエンドで終わるようなストーリーではないが、救いのあるラストが用意されているので、犯罪小説やノワールといったジャンルが苦手な人も読んでみてはいかがだろうか。

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